活レポ(活法研究会)

古武術整体「活法かっぽう」の症例報告とセミナー情報

2014年03月

特別授業(大川学園)

副代表の栗原です。

13日の木曜日は、大川学園の特別授業に講師として参加してきました。
依頼されたのは古武術鍼法。

一人では心細いので、講師の秋澤をアシスタントに連れて行きました。
大川学園は秋澤の母校で、活法と深い縁がある学校です。

校舎が目の前に現れた時は、予想図の5倍くらい立派だったので、思わず声が出てしまいました。

「わおっ!」

そんなに驚いておきながら撮影は忘れました。

若いつもりでいても、鍼灸学校を卒業したのは10年以上も前という現実。学校の教室という雰囲気に馴染むまで時間がかかりました。普段が緩すぎる環境でセミナー講師をやっているからでしょうか(笑) 

3時間に授業なので、理論は大幅カットでほとんどの時間をデモと実技に使うことにしました。テーマは「むち打ち症」でした。学生さんの中に正真正銘のむち打ちの方がいらっしゃったので、デモ実技は臨床とほぼ変わらない内容になってしまいました。

セミナーにしても臨床にしても、受ける側は一度きりの経験ですから、手抜きはできません。うまく行かなければ、相手にとっては「そういうもの」として記憶されます。私もいろいろなものを見て受けて「そういうもの」にしてきた覚えがあります。

古武術鍼法のデモシーン(栗原)"
(写真:栗原)

活法研究会講師(秋澤)
(写真:秋澤)

デモする時には、気をつけることはいくつかあるのですが、一番気をつけているのは、普段以上のことはやらないようにする、ということ。ギャラリーによく見せようと思えば、普段以上に頑張ろうという気持ちが起こります。そうすると、緊張してしまってむしろ普段の力すら出せません。

普段の臨床では、ギャラリーがいるつもりで施術するようにしています。見られている感をいつも意識するようにしています。はっきり言って自意識過剰な状態です。とはいえ、患者さんというギャラリーにいつも見られているわけですから、必要な自意識なのだと思います。

セミナー講師という仕事を通じて、自分を客観的に評価する習慣を身につけたいと思っています。どうしたって自分の姿が一番見えません。見ようとしなければ見えないのが自分の癖です。どんなスポーツでも、ビデオでプレー中の姿を撮ってもらうと課題が見えてくると思います。鍼灸師という仕事も同じだと考えています。

誰だって自分の嫌なところから目を背けたくなりますよね。その気持ちを克服して、自分の嫌なところを直視できる人がどんどん上に行けるのかもしれません。

活法入門

副代表の栗原です。

基礎編セミナーの下肢編を終えての感想です。

基礎編を出た受講者から、「基礎編に出て、活法は技術だけではないことがわかりました」という感想を頂きました。誰でも、入門編の時は、手技の手順や形を追うことで頭がいっぱいになります。手順を正しく覚えるという作業に終始してしまう傾向にあります。入門編では、2日間で10種類ほどの手技を準備していますが、正確に覚えようと思えば時間にゆとりはありません。

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入門編の2日間は、スポーツで言えばフォームを覚える時間です。セミナーでは、できる限り力加減を伝えようと工夫していますが、実際の現場では患者さん一人一人によって力加減の調整が必要です。試行錯誤しながら患者さんやその時のコンディションに応じて加減する領域があります。

美味しい塩むすびは塩加減が絶妙です。料理本をたくさん持っている人ほど料理が上手、なんてことはありませんよね。料理はレシピだけではないことは、料理素人の私でもわかります。

先日のセミナーで、技術顧問の碓井誠先生から出たのは「活法が全てではない。患者さんは何だっていい。」という言葉。活法を極めた者が放つから心に届きます。

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活法は「治す技術」ではありません。患者さんの運命を変えるために使います。技術セミナーやDVDで使われるキャッチコピーには「治せる技術」が氾濫しています。リラクゼーションと区別して使っているのかもしれませんが、活法の立場から言うと違和感があります。本当に活法を理解している人間であれば使わない表現です。

目の前の患者さんがどんどん良くなっていく前で「治す技術ではない」と言うから成り立ちます。不満そうにしている患者さんの前で使うと、言い訳でしかありません。「治す技術ではない」と言い切る意味と重さ、お分かりいただけるでしょうか。

施術をした患者さんが治ると、まるで自分で治したかのように錯覚します。活法と出会う前、私もそうでした。しかし、実際は、治る患者さんの前に私がただ居ただけなのです。治ることがゴールなら、私はたまたまゴール前で一緒に居ただけなのです。

活法研究会では「私が治しました」という言い方はNGとしています。活法が治したわけでも術者が治したわけでもありません。

言葉のアヤだと一言で片付ける人もいるでしょう。しかし、私は強く思います。この理解の違いは、患者さんと接する際に大きな違いとなります。話し方や誘導方法など、術者の態度すべてに影響が出ます。患者さんが受ける印象は全く違うものになるでしょう。権威をチラつかせるなら、「私が治します!」でよいのかもしれません。ただ、活法は権威で患者さんを圧するようなことはしませんから、圧力になるものはむしろ邪魔です。

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活法研究会のセミナーの入口が「基礎編」ではなく、あえて「入門編」としている理由があります。入門編は技術の手順と形を追いかけることで精一杯になってしまいます。そこで手順と形が完璧になったとしても、活法の基礎を学んだことにはなりません。入門編では活法の手技を覚えて頂き、基礎編では活法の手技を通じて活法の基礎を学んで頂きます。

体験セミナーでは難しいことは必要ありません。
「活法で臨床が楽しくなりそう」と感じて頂くことが目的ですから。
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■体験セミナー 上半身編
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