副代表の栗原です。

前回の「膨張と収縮」のつづきです。

呼吸と経絡には深い関係があります。ただし、その前に経絡のことを整理しておく必要があります。多くの鍼灸師が経絡を誤解し、誤解されたまま、経絡が批評の対象となっている現実があります。

なぜ経絡は気の流れるルートなのか

経絡を本来の意味で理解するためには、呼吸がキーワードになると考えています。「東洋医学では経絡という気の流れるルートがあると言われています」という説明から抜け出す方法を私は真剣に考えています。経絡は見えないエネルギーを想定して語るものではなく、現実に見える生命活動と重ねて語ることが大切です。

いったん、経絡を白紙に戻すことで鍼灸学は生まれ変わります。実際、経絡にとっくに別れを告げている鍼灸師も多くいます。皮肉なことにそうした鍼灸師の台頭が目立ちます。果たして、経絡には意味がないのでしょうか。私はそうは思いません。経絡は実用的なものです。問題は使い方です。


■踏み絵を踏んでみる

活法では経絡(けいらく)を使いません。鍼灸師である私は、そのことに衝撃を受けました。私にとって経絡は、ツボ選びの拠り所だったからです。鍼灸師から経絡を奪うことは、船乗りからコンパスを奪うことと同じ意味だと思っていました。

碓井流活法

経絡のない世界に寄り道してみると、それまで見えなかったものが見えるようになりました。寄り道のつもりで入り込んだ道には宝がいっぱいありました。

経絡から離れてみたことで、経絡のことがもっとわかるようになりました。経絡は、絶対的な指標にはなりません。経絡は、人体を診る上でひとつの切り口でしかありません。伝統を重んじる鍼灸師にとって、これは、キリシタンが踏み絵を踏むような行為です。こうした発言をした時点で出入り禁止になるところはたくさんあります。


■信仰と学問

私には、「医学は信じるものではなく学問」という信念があります。「経絡というものがあるらしい」の上に積み上げられた鍼灸には、信仰との境界線がありません。鍼灸を非科学的だと突く人の気持ちも理解できます。スピリチュアルな世界だと思われてしまうことも仕方ないと思います。そうであってもいいという人、そうあるべきだという人もいますが、私はそうではありません。

経絡は信仰の対象ではなくツールである

鍼灸は誰にでもわかる世界です。誰もがその恩恵を享受できるはずです。そのためには、経絡を「信仰」から「学問」に引き戻さなければなりません。そのために必要なのは、「経絡はあるか、ないか」という議論をやめることです。経絡は、鍼を運用するために創造された思考ルートであり運用ルートでしかないと私は考えています。

「ルート」という言葉は、「パターン」や「ツール」という言葉に置き換えてもよいと思います。経絡は、数学で言うところの数式と同じです。経絡という数式に当てはまる現象が多く見られるというだけです。ただ、人体の複雑性の前では、例外的な現象もたくさんあり、通用する時とそうでない時があります。


■柳谷素霊の亡霊

目に見えず、触れることもできない経絡。「見える、感じる」という人と真っ向から議論するつもりはありません。「誰もが見える、誰もが感じる」ものでないという意味ですから。

昭和鍼灸の歳月

経絡を否定したいわけではありません。そろそろ経絡信仰に終わりを告げてもよい時代かと思っているのです。柳谷素霊先生の亡霊に鍼灸業界は取り憑かれた状態です。鍼灸の昭和史を紐解けば、いわゆる経絡治療のみが経絡を運用できるわけでもなく、経絡を運用することがいわゆる経絡治療でないことは明白です。

これより先の話は、業界誌の『温故知新』の連載で詳しく書かせて頂いたので、興味のある方はバックナンバーをご覧ください。経絡信仰から脱却するため「経穴デザイン」という思考を提唱しています。今後の展開も含めて温かく見守って頂けたら幸いです。

つづく…経絡と呼吸(中編) でも、ほとんど経絡治療の歴史

活法研究会(鍼灸師のための古武術医方)
http://kappolabo.jp/

活法1日体験会(東京)
上半身編 2015年2月22日(日)
下半身編 2015年3月1日(日)