活レポ(活法研究会)

古武術整体「活法かっぽう」の症例報告とセミナー情報

鍼灸

鍼灸師が活法から学ぶべき間合いと心理術

副代表の栗原です。

2月19日(日)のセミナーは、技術顧問である碓井誠先生を迎えました。碓井流活法の創始者のワザを見たい、体験したい、という方が全国から集まりました。

一手で改善、幻の古武術整体 即効! これが活法(かっぽう)だ [DVD]


このセミナーは私にとっても大きな意味がありました。なぜなら、碓井先生のワザを見て、体験して、鍼灸師としての生き方が大きく変わったからです。碓井流の体験なくして、今の私はありません。

DVD発売記念 厳選21手完全マスター講座の様子(2017年2月19日)



■活法にあって鍼灸にないもの

活法に、鍼灸にないものを感じました。それは鍼灸が抱える大きな問題を浮き上がらせました。それまで鍼灸専門でやってきた私が活法に熱中したのは、その問題を解決できると思ったからです。しかし、鍼灸理論に活法のワザを当てはめてみても理解できませんでした。生まれも育ちも違うものが、いきなり溶け合うことはありません。

まず、活法は活法として理解し、とことん実践する。活法を使う時は、頭のてっぺんから足の先まで活法でなければならないのです。そうすることで、活法がだんだんわかってきます。

施術はもっと単純に考えてもいいんだ、と思えるようになってきました。それまでの私は鍼灸理論を難しいものだと思っていましたし、難しいことをやっていることに酔っていた気がします。簡単なことをわざわざ難しくしていたのです。本当に大事なのは、難しいことを簡単にすることです。

活法がまさにそれなのです。
鍼灸が見習うべきところは、単純化です。

単純化とは、理論を廃止することはでありません。理論をシンプルにしていくことです。ツボの使い方をシンプルにすることです。症状とツボの関係を明瞭にすることです。そうすると、難しい症状が簡単になっていったのです。

碓井誠の活法(座づくり)



■師のワザ

私が驚愕したのは、師であり会の技術顧問である碓井誠先生のワザです。初めて見て体験したのは10年ほど前です。その時のインパクトは忘れられません。

同じ体験をしてほしくて企画したのが、先日のセミナー「DVD発売記念 厳選21手完全マスター講座」でした。碓井流の濃い施術を受けてほしかったのです。そこで必ず何かを感じると思っていました。それが私と同じでなくてもよいのです。

私が注目したのは、空間の使い方です。患者(役)との間合いの取り方が鍼灸師とは全く違います。鍼灸の常識では、患者さんは寝て鍼や灸をされるのを待っています。動いていることはありません。しかし、活法は違います。動いている相手に仕掛けたり、仕掛けながら動かしたりします。

活法が相手にしているのは、運動している人体です。

鍼灸にも、鍼をしたまま動いてもらう「運動鍼」と呼ばれているものがあります。でも、これは鍼をしてから動くので、「鍼+運動」です。運動している人体を対象にしているとは言えません。

空間認識は、簡単にマネできません。ソムリエの味認識を簡単に真似できないのと同じです。卓越した空間認識力は、相手にワザをかけるのに最適なポジションにスッと入っていけます。入ってからの微調整も必要ありません。

DVDの撮影にはリハーサルはありませんでした。にも関わらず、師の立ち位置や座り位置は「そこしかない!」というところに迷わず入ります。DVDを購入された方は、そこに注目してもう一度観て頂きたいです。

慣れた弟子(撮影では私が受け手)が相手だからだろう、と思われるかもしれませんが、第三弾のDVDの受け手は、師の施術を受けるのが初でした。撮れた映像を見て本当に驚きました。

そもそも、活法は柔術の裏技です。

間合い次第で有利にも不利にもなります。鍼灸でも、施術しやすい距離感はありますが、相手が止まっているので、自分が動きやすい距離なのです。

活法では、相手も動きます。動く相手との絶妙な距離感。時と場合によって変化するので物差しで測れるものではありません。相手の空間を認識し、相手の動きを読む能力がなければ、最適な間合いを取ることはできません。

碓井誠の活法(腕枕)



■術者に操られるという不思議な感覚

活法にあって鍼灸にないものは他にもあります。それは術者に操られるという感覚です。とても不思議な感覚です。

術者に動きを誘導されているうちに、自然体になっていきます。誘導されるのは肉体だけではありません。意識まで誘導されています。むしろ、意識の誘導の方が本質に近いと考えています。

「誘導」は、相手の動きの選択肢をさりげなくとってしまうことです。だから迷わず動けます。とても面白いロジックです。

たとえば、マジシャンは観客が自分の視線と同じ方向を追うことを知っています。それを利用して死角を作りタネを仕込みます。活法でも、同じことを利用します。術者の視線だけで相手の視線も姿勢も変わります。

活法は心理学的に理に適っていることをやっています。当然と言えば当然です。活法は武術の裏技として生み出されたワザだからです。肉体の動きを知り尽くした武術家がいて、駆け引きを知り尽くした武術家がいたのです。活法は究極の心理術とも言えます。

「良くなっているのは心理的に生じる錯覚だ」と(批判っぽく)言われることもある活法。むしろ、それは本質をついているのです。錯覚をも巧みに利用してしまうのが活法。不思議な体験ができるのは当然です。もちろん、体の使い方にも長けていることが前提です。

だから、活法の名人がスゴくないはずがないのです。

碓井誠の活法(綱引き)


■もっと魅力を知りたい時におすすめな記事(外部)

◎「人生の幸せは達人に学べ!!」(活法研究会会員 谷地先生のブログ)
◎「コツと技術〜活法と合気道」(活法研究会会員 小松田先生のブログ)


■求人情報(鍼灸師2名)
活法に興味のある鍼灸師を募集しています。
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◎関連施設
養気院(群馬県伊勢崎市)
カポス(東京都港区/品川駅)

鍼灸師採用情報大

呼吸の話(2) 経絡と呼吸(前編)

副代表の栗原です。

前回の「膨張と収縮」のつづきです。

呼吸と経絡には深い関係があります。ただし、その前に経絡のことを整理しておく必要があります。多くの鍼灸師が経絡を誤解し、誤解されたまま、経絡が批評の対象となっている現実があります。

なぜ経絡は気の流れるルートなのか

経絡を本来の意味で理解するためには、呼吸がキーワードになると考えています。「東洋医学では経絡という気の流れるルートがあると言われています」という説明から抜け出す方法を私は真剣に考えています。経絡は見えないエネルギーを想定して語るものではなく、現実に見える生命活動と重ねて語ることが大切です。

いったん、経絡を白紙に戻すことで鍼灸学は生まれ変わります。実際、経絡にとっくに別れを告げている鍼灸師も多くいます。皮肉なことにそうした鍼灸師の台頭が目立ちます。果たして、経絡には意味がないのでしょうか。私はそうは思いません。経絡は実用的なものです。問題は使い方です。


■踏み絵を踏んでみる

活法では経絡(けいらく)を使いません。鍼灸師である私は、そのことに衝撃を受けました。私にとって経絡は、ツボ選びの拠り所だったからです。鍼灸師から経絡を奪うことは、船乗りからコンパスを奪うことと同じ意味だと思っていました。

碓井流活法

経絡のない世界に寄り道してみると、それまで見えなかったものが見えるようになりました。寄り道のつもりで入り込んだ道には宝がいっぱいありました。

経絡から離れてみたことで、経絡のことがもっとわかるようになりました。経絡は、絶対的な指標にはなりません。経絡は、人体を診る上でひとつの切り口でしかありません。伝統を重んじる鍼灸師にとって、これは、キリシタンが踏み絵を踏むような行為です。こうした発言をした時点で出入り禁止になるところはたくさんあります。


■信仰と学問

私には、「医学は信じるものではなく学問」という信念があります。「経絡というものがあるらしい」の上に積み上げられた鍼灸には、信仰との境界線がありません。鍼灸を非科学的だと突く人の気持ちも理解できます。スピリチュアルな世界だと思われてしまうことも仕方ないと思います。そうであってもいいという人、そうあるべきだという人もいますが、私はそうではありません。

経絡は信仰の対象ではなくツールである

鍼灸は誰にでもわかる世界です。誰もがその恩恵を享受できるはずです。そのためには、経絡を「信仰」から「学問」に引き戻さなければなりません。そのために必要なのは、「経絡はあるか、ないか」という議論をやめることです。経絡は、鍼を運用するために創造された思考ルートであり運用ルートでしかないと私は考えています。

「ルート」という言葉は、「パターン」や「ツール」という言葉に置き換えてもよいと思います。経絡は、数学で言うところの数式と同じです。経絡という数式に当てはまる現象が多く見られるというだけです。ただ、人体の複雑性の前では、例外的な現象もたくさんあり、通用する時とそうでない時があります。


■柳谷素霊の亡霊

目に見えず、触れることもできない経絡。「見える、感じる」という人と真っ向から議論するつもりはありません。「誰もが見える、誰もが感じる」ものでないという意味ですから。

昭和鍼灸の歳月

経絡を否定したいわけではありません。そろそろ経絡信仰に終わりを告げてもよい時代かと思っているのです。柳谷素霊先生の亡霊に鍼灸業界は取り憑かれた状態です。鍼灸の昭和史を紐解けば、いわゆる経絡治療のみが経絡を運用できるわけでもなく、経絡を運用することがいわゆる経絡治療でないことは明白です。

これより先の話は、業界誌の『温故知新』の連載で詳しく書かせて頂いたので、興味のある方はバックナンバーをご覧ください。経絡信仰から脱却するため「経穴デザイン」という思考を提唱しています。今後の展開も含めて温かく見守って頂けたら幸いです。

つづく…経絡と呼吸(中編) でも、ほとんど経絡治療の歴史

活法研究会(鍼灸師のための古武術医方)
http://kappolabo.jp/

活法1日体験会(東京)
上半身編 2015年2月22日(日)
下半身編 2015年3月1日(日)

活法マニアが2012年を振り返る

あなたが手にするであろう価値

副代表の栗原です。

昨日は、活法研究会の経営会議と忘年会を行いました。
2012年を振り返り、2013年の活法研究会を占ってきました。

2012年は、おかげさまで、発足後、最高の盛り上がりを記録しました。セミナーで出会った多くの仲間に感謝です。

活法の普及は確実に前進しましたし、実際に全国各地から嬉しい報告(患者さんが感動しました!という声)を頂いております。

残念なのは、そういう事実を共有しきれていないことや、発信できた情報が少なかったことです。せっかくのレポートを無駄にしないためにも、共有と発信の環境を整える重要性を感じました。

活法研究会の強みは、なんと言っても、卓越したテクニックを所有していることです。誰かの名人芸で終わることがないように、講師がテクニックを共有し、それぞれの視点からコーチングできるようにしています。講師全員が現場で実践し、テクニックの可能性と限界を頭と体で理解しています。

こんなことを書くと誤解を招くかもしれませんが、ハイパフォーマンスな技術がなくても、治療院経営は成り立つと思います。私自身がハンパな技術で5年間(活法と出会う前)やってきたのですから、間違いないです。

高度な技術はいらない」という結論ではありません。

活法導入前と後で明らかに変わったことがあります。患者さんの喜ぶ顔が増えたことは言うまでもありませんが、経営者の立場からもハッキリ変わったことがあります。

技術が高まるほど、経営戦略の幅も広がっていったのです。技術がなければ、狭い切り口で窮屈な経営を強いられてしまいます(窮屈だとわかるのは高度な技術を手にした後)。

施術の結果に感動している患者さんに語りかける言葉と、「う~ん」と首をかしげている患者さんに語りかける言葉は、同じであるはずがありません。極端に言いますと、感動している患者さんには、何を言っても正解になります(もちろん悪用などしませんよ)。

売上に満足している鍼灸師にも、活法をすすめる理由はここにあります。技術の幅を持つ者にしか見えない景色があります。もちろん、私にだって眺めることを許されてい景色があります。新しい景色が見たいからココにいます。

活法は「手技療法であって手技療法にあらず」です。治療や施術の概念をひっくり返してしまうパワーがあると思います。そのパワーは手から手に伝えるしかありません。

カタチだけなら、映像と解説で伝えられると思いますが、私たちが伝えたいものは、カタチではありません。あなたの患者さんが感動し、あなたも感動する。その感動を共有することが私たちの喜びです。

もし、活法研究会の技術DVDの販売を待っている方がいらっしゃいましたら、ごめんなさい。2013年も、物販による技術放出はありません。コーチングでしか伝えられないものに価値を感じているからです。

2013年は、新カリキュラムも登場です。
レディース活法に、応用編、たいへんお待たせしました!

1~3月は準備にたっぷりと時間を使わせていただきます。活動休止ではありませんから、その間も応援をよろしくお願いします。

2012年、本当にありがとうございました!
ブログは年内もまだまだ更新しますよ。

鍼灸を使わない、だからと言って整体師でもない

副代表の栗原です。

鍼灸一本でやってきた私ですが、活法を導入して施術スタイルはガラリと変わりました。先日、3年ぶりに来院された患者さんを目の前にした時、ちょっと困惑しました。3年前のカルテを見ると、今やっていること全然違うからです。

患者さんは3年前のイメージを抱いて再来院です。そのイメージを裏切ってよいものか…。だからといって、3年前のスタイルに戻すことはできません。今の方がよいと思っているので気持ち的に無理です。

活法の手技を取り入れるようになった、という違いもありますが、選穴の方法も激変です。明らかに活法が私の鍼灸に影響を与えました。経営状況をみれば、今の鍼灸の方が明らかに評価が高いです。それまでに用いていた流派はとても優れたものです。ただ、私にとっては迷いを感じる場面も多く、モヤモヤ感が払拭できないでいたのです。

その場で確実な手応えがほしかったのです。

活法で術を施したあとの手応えは、気持ちよいです。
もしかしたら、この気持ちよさに惹かれて活法にのめり込んでしまったのかもしれません。効いていることがハッキリわかるあの感触。

活法に染められた鍼灸と活法の徒手は使い分けています。特に順番はありません。その患者さんに応じて動くようにしています。

活法から入ることもよくあります。活法のみで症状がほとんど取れてしまうこともあるわけです。そうなると、鍼灸の出番がありません。鍼灸院の看板を掲げている以上、徒手だけで終わるのはどうなのか…と考えます。そんな時は勇気を振り絞って止めます。

そうして、鍼灸をすることなく患者さんは帰ります。
鍼灸院で鍼灸をすることもなく患者さんは帰っていきます。
「鍼灸をやっていないのだから安くしろ!」なんて思われていないかと、ちょっぴり不安も抱きながら見送ります。

気になるのはその後です。次に何かあった時、また利用していただけるだろうか…。心配は無用なようです。今のところ、リピート率は極めて高いです。

実は、本日の新患さんにも鍼灸をしませんでした。慢性的な疲労に数年悩まされ、肩甲骨の凝りがひどく、手のしびれまで加わりつらそうでした。

肩甲骨の動きを調整するだけで、しびれが取れました。触れてから数分後には消えていたので、実際どこの段階で消えたのかわかりません。あっけなかったので、本当に消えたのか何度も確認してしまいました。4〜5種類の手技を加えると、肩甲骨周りがフニャフニャです。ということで、鍼灸を使う機会を逃しました。

じゃあ、鍼灸はいらないのかということでもありません。鍼灸にしかできないこともあるからです。上手に使い分けたり、それぞれの発想を活かせばよいと考えています。
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